(五常・仁 鈴木春信筆 文化遺産オンラインより)
旗本婦人・万喜の手紙から彼女の生活を見ていくとともに彼女の果たした役割について考えてみます。
(妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館)
江戸での孤独
万喜が再婚後しばらくして江戸で頼りにしていた叔父が亡くなります。
夫は3年ごとに関西に勤務するため留守がちです。
舅、姑もおらず、目上の者は夫だけです。
気を使わずにいられる反面、寂しさもあったようです。
子どもたちの成長を喜びつつも、夫の留守中、女ひとりで子ども3人の教育を行うことの不安、将来どのようになるのかを案じています。
・・・書状を早速くださると思っておりましたのに、まったくお忘れなのか、気休めに仰せ下されたのか、その後、一向に一度もお便りがありません。どうなさったのかなどと思い続け、女の浅い心から、早速(両親に)お目通りできるつもりで居りましたのに、ただいまは心配で夜もろくに寝られなく案じております。いまとなっては、二人の子ども、ことに大切な家付き娘玉を置いて両親のもとへ参ることなど、とてもできません。・・・
妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館:38
岡山の両親から手紙が来ないのも気がかりな様子です。
作者の妻鹿氏は、軽い鬱症状を起こしているようであるとし、その後、万喜が大病をしたことから不安や孤独、さまざまな苦労が病気の遠因となっていたのではないだろうかとしています。
節約生活
万喜の夫・要人は、万喜に「恐ろしきほど」と言われるほどに大変な閉まり屋でした。
2度の火災、安政の大地震にも見舞われ、家を維持するためには必要なことだったようです。
しかし、全てを夫にまかせっきりというわけではありませんでした。
夫が関西に勤務している期間、留守中のやりくりは万喜の役目でした。
長女・玉が5歳の時に婿養子をもらう決断をします。
私は出産の時期に入っています。お腹の子は男子かどうかもわかりませんが、(養子を迎えることは)兼ねての約束で、殊に当時の借財を少しでも凌ぎたく、夫要人と私が内談のうえで養子を迎えることにしたのです。
妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館:51
養子の持参金を借金返済に充てる必要があったためでした。
夫婦が協力して家計管理に関わっていることがわかります。
子どもの教育
子どもたちが幼いうちは万喜が手習、素読を教えていたようです。
女の子にも女子教育用の教科書である「女大学」などを用いず、四書・小学を用い、裁縫を教えました。
当地(江戸)では男子については殊のほか心配しております。・・・心の内では心配ばかり、心ならず暮らしております。しかしながら、出来不出来は運次第と存じ、まずまず日を送っています。
妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館:93
男子の就職について心配しています。
子どもの縁談
子どもの縁談にはかなり積極的に関わっているようにみえます。
夫の在阪中に縁談話が来ることもあり、結論は夫と出すにしても相手のことを調べておくなどしている様子です。
(金之丞の)嫁のこと、段々気にかけていただき有難く存じます。23歳になり、昨年より大高の家からも申し込みをいただきましたが、この間、私が見に行きましたところ、少々不器量な方でしたので断りました。また外に良き綺麗な人がいることと、相談いたしております。
妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館:123
作者の妻鹿氏は実質的な指導権を握っていたのは母であり、妻である万喜であったと想像しています。
家格の維持
万喜は子どもたちが武士として職を得るだけでなく、お目見え以上の家格であることを望んでいます。
子ども3人のうち、一人だけお目見え以下の身分では困ります。
妻鹿敦子、2011、『武家に嫁いだ女性の手紙――貧乏旗本の江戸暮らし』吉川弘文館:114
伊東家を継いだ金之丞、栗原家に嫁いだ・玉の二人はお目見え以上の旗本の家です。
それに比べ、山室家の養子になった長男・精五郎が身分制社会ではお目見えではないのを気にして、出世を望んでいます。
また、長女・直の再婚に関しても
「直は真面目な辛抱者なので大番か両番かの勤めをしている人と見合わせたい」
伊東家より同等かそれ以上の家に嫁がせることを望んでいます。
お目見え以上であることが万喜にとって大事なことだったのがわかります。
武士社会の身分制の維持に女性も一翼を担っていたといえる証ではないでしょうか。
万喜の役割
万喜は夫の留守中に家計を管理し子どもたちの教育や縁談にも関与しています。
肩を痛めた夫に代わり代筆などをすることもありました。
万喜の役割は夫の役職を維持して家族の生活を支え、武士としての社会的地位を維持することでした。
また、万喜の果たした役割として忘れてはならないのは実家と婚家をつないだことです。
万喜は遠く離れた実家へ手紙を書き続けました。
子どもたちに自分の両親のこと、故郷のことを話して聞かせていたのでしょう。
その結果として、子どもたちは一度も会ったことがない万喜の両親のことを祖父母と慕う手紙を残しています。
役割への関わり方
武士階級の女性というと夫の管理下ですごす従順な女性をイメージしがちです。
しかし、万喜は夫とともに相談しながら事を進めています。
また、現状を維持するだけでなく、より良い状態へと望む意識もあったことがわかります。
子どもたちが御目見え以上の家格になることを望んでいることから武士のランクに対する意識も強いことがわかります。
役割への関わり方は指示に従うというよりも積極的なものだったのではないかと考えます。