ひょこりん

武士社会

布衣

布衣(ほい)とは紋がなく地模様もない狩衣のことです。 旗本にとって江戸城内で行われる儀礼の場に布衣を着て出ることは立身出世の証とされました。 旗本とは幕臣のうち将軍に謁見できる御目見以上の者をいいます。 国立国会...
武士社会

代官の陣屋暮らし

幕領の代官のうち任地で暮らすのは半数ほどです。 江戸近郊の幕領を担当する代官や上方代官は通常江戸に住み用事がある時に任地に赴いていました。 陣屋 任地に赴任した代官は陣屋と呼ばれる代官所に住んでいました。 陣屋は代...
武士社会

代官

代官といえば時代劇の影響からでしょうか、厳しく農民から年貢を取り立て悪事を働くというイメージがあります。 ところが実際は違っていたようです。 まず、幕領の代官について見てみます。 幕領の代官 江戸時代は大名や旗本な...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

元治2年

元治元(1964)年、池田屋事件、蛤御門の変が起きるなど世の中が騒がしくなっていました。 美佐の日記の表紙には「4月19日改元の事」と記されています。 元治2年は江戸幕府最後の元号「慶応」に改元されました。 ...
よりみち~\(^o^)/

招き猫は縁招き

井伊直弼の墓がある豪徳寺は招き猫で有名です。 豪徳寺の招き猫は金の小判を持っていません。 縁を招く猫だからとか・・・。 豪徳寺と招き猫 第2代彦根藩主・井伊直孝は鷹狩りの途中、通りかかった寺の門前で猫に手招きされま...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

井伊直弼の葬式

彦根藩世田谷代官の妻・大場美佐の安政7年の日記には井伊直弼の葬式についての記述があります。 2ヶ月後の葬式 安政7年4月10日、井伊直弼の葬儀が豪徳寺(彦根藩主・井伊家の江戸菩提寺)で行われました。 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

実家との関係

世田谷代官の妻・大場美佐が書いた1860(安政7)年の日記をエクセルで分析してみました。 代官屋敷に出入りする人々は、彦根藩の役人、使用人、名主、地元の人々、大場家の親戚などです。 美佐自身も代官屋敷を出入りしています。 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

親戚との関係

大場美佐の日記には主として天気と代官屋敷に出入りする人や物が記録されています。 感情的なことは一切書いていません。 代官屋敷は彦根藩世田谷領の役所であり大場家の住居でもありました。 そのため日記から大場家の親戚との関係も...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

安政7年の日記に登場する人々

彦根藩世田谷領代官の妻・大場美佐の日記には主として代官屋敷に出入りする人が記録されています。 そこで、1860(安政7)年の日記を文章でそのままエクセルに入力してみました。 日記に名前が何回登場するかを抽出することで美佐がその...
武士階級の女性

家を結ぶ

ライフサイクルに注目している藪田氏によれば、武士階級の女性たちには町人や農村女性と異なるライフサイクルがあったとしています。 大きな違いは生まれ落ちた家と嫁いだ家を結ぶという使命を負っていることでした(薮田 1990: 244-71...
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