彦根藩世田谷代官の妻・大場美佐の安政7年の日記には井伊直弼の葬式についての記述があります。
2ヶ月後の葬式
安政7年4月10日、井伊直弼の葬儀が豪徳寺(彦根藩主・井伊家の江戸菩提寺)で行われました。
4月10日は新暦の5月30日です(keisan旧暦カレンダーより)。
井伊直弼は安政7年3月3日に「桜田門外の変」で亡くなりました。
安政7年3月3日は新暦では3月24日です。
新暦の3月24日に亡くなり葬式は新暦5月30日。
安政7年の美佐の日記にはは3月3日から4月10日までの間に閏3月があります。
したがって葬式は「桜田門外の変」から2ヶ月以上経ってから行われたということになります。
墓碑に記された没日は「安政7年3月3日」(1860年3月24日)ではなく、「蔓延元年閏3月28日」(1860年5月18日)になっています。
葬式準備
美佐の夫・与一は葬式が行われる1週間前の4月4日頃から準備で豪徳寺に出入りしています。
葬式が行われる3日前には彦根藩の奉行衆が代官屋敷に家来と共に来ました。
この頃、代官屋敷は葬式準備で人の出入りが盛んです。
出棺
葬儀の前日の4月9日、美佐の日記では卯の刻に桜田屋敷を出棺したと記されています。
卯の刻は現在の朝5時から7時の間です
九つには世田谷に入りました。
お昼の12時ごろです
地図上では歩いて2時間半ほどとなっていますが、6〜7時間かかっています。
美佐は上40人、下15人の昼食の支度をしました。
猪方の女房と娘に手伝いに来てもらっています。
夫・与一も豪徳寺の見回りなどこの日は夜も忙しい様子です。
見回りは葬式のあと4月17日の法事が済むまで続きました。
葬式拝見
四月十日 雨風昼頃より天気
御葬式拝見におミさ・おこよ・はつ参り候事
葬式当日の午前中は雨が降り風も強かった様子。
美佐はおこよ・はつと共に井伊直弼の葬式を拝見に出かけています。
「おこよ・はつ」は手伝いに来てもらった猪方の女房と娘でしょうか。
慌ただしく、忙しい日々の中で女性たちの動きが見える瞬間です。
参考文献:世田谷区、2013、『大場美佐の日記』(復刻版)