彦根藩

彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

代官

代官といえば時代劇の影響からでしょうか、厳しく農民から年貢を取り立て悪事を働くというイメージがあります。 ところが実際は違っていたようです。 まず、幕領の代官について見てみます。 幕領の代官 江戸時代は大名や旗本な...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

元治2年

元治元(1964)年、池田屋事件、蛤御門の変が起きるなど世の中が騒がしくなっていました。 美佐の日記の表紙には「4月19日改元の事」と記されています。 元治2年は江戸幕府最後の元号「慶応」に改元されました。 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

井伊直弼の葬式

彦根藩世田谷代官の妻・大場美佐の安政7年の日記には井伊直弼の葬式についての記述があります。 2ヶ月後の葬式 安政7年4月10日、井伊直弼の葬儀が豪徳寺(彦根藩主・井伊家の江戸菩提寺)で行われました。 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

実家との関係

世田谷代官の妻・大場美佐が書いた1860(安政7)年の日記をエクセルで分析してみました。 代官屋敷に出入りする人々は、彦根藩の役人、使用人、名主、地元の人々、大場家の親戚などです。 美佐自身も代官屋敷を出入りしています。 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

親戚との関係

大場美佐の日記には主として天気と代官屋敷に出入りする人や物が記録されています。 感情的なことは一切書いていません。 代官屋敷は彦根藩世田谷領の役所であり大場家の住居でもありました。 そのため日記から大場家の親戚との関係も...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

安政7年の日記に登場する人々

彦根藩世田谷領代官の妻・大場美佐の日記には主として代官屋敷に出入りする人が記録されています。 そこで、1860(安政7)年の日記を文章でそのままエクセルに入力してみました。 日記に名前が何回登場するかを抽出することで美佐がその...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

桜田門外の変 彦根藩

安政7年3月3日上巳の節句(ひなまつり)の日。 五つ半(午前9時)江戸城へむかっていた約50名超の彦根藩井伊家の行列に水戸の志士15名(神官3名を含む)と薩摩の1名が斬り込みました。 雪から刀を守るために柄袋をかけていて彦根藩...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

安政7年 正月

画像:四方赤良、1784、『年始御礼帳』3巻:国立国会図書館デジタルコレクション 大場美佐日記 安政七年 元日少々くもり四つ頃より天気 例之通り吉例相済宗八初上町者礼二出候事、 (世田谷区、2013、『大場...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

12月の節分

大場美佐日記 安政七年(万延元年)十二月廿四日 天気 節分例の通祝事、千葉より竹使二来る、友笄こうがい・神明前へ歳暮に行、用賀へ紋二塩引・茶遣ス、長・春来ル (世田谷区、2013、『大場美佐の日記』(復刻版):35...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

誕生日の祝い

大場美佐日記 安政七年(万延元年)霜月十五日 曇八ツ頃より雪ふり出し三寸程つもり 御誕生日の祝い致ス、忠次郎祝に付赤飯・にしめ到来ス、旦那八幡様へ御参詣被遊候、御祖母様も御参詣被成御帰り二万やへ御寄□(酒ヵ)肴御馳走有、おば...
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