代官といえば時代劇の影響からでしょうか、厳しく農民から年貢を取り立て悪事を働くというイメージがあります。
ところが実際は違っていたようです。
まず、幕領の代官について見てみます。
幕領の代官
江戸時代は大名や旗本などが個別に所領を有していました。
それらの個別領主を全国的に支配し統合していたのが将軍・幕府です。
将軍も全国最大の個別領主でした。
その将軍の所領を幕領(天領)といいます。
幕領の民政を担当したのが代官でした。
代官の任務
代官の最も重要な任務は幕府の財政の基盤となる年貢を農民から徴収することです。
年貢を確実に徴収するためには農民の農業経営を支え育成していく必要がありました。
そのための治水や橋、道路などのインフラ整備するのも代官の仕事でした。
災害や飢饉などが起きたときに対応するのも代官。
領内の治安や裁判に関する責任もあります。
代官は現在の税務署長であり役所の長であると同時に警察や裁判官の業務も行なっていたのです。
代官登用の変化
江戸時代初期の代官は治水、灌漑を指導し新田開発を請負う個人事業主的性格でした。
江戸時代中期以降、幕府は代官を勘定奉行配下の官僚として組み入れる策を強化します。
幕府財政の根幹である年貢の管理を強化するためです。
その結果、「代々代官」と呼ばれる任地を固定し代官を世襲する家は限られていきます。
本人のみが代官で2代目以降は代官ではないという家が8割以上になりました。
代官の多くが仕事の大変さと経済的リスクから代官職を子に継がせることを望まなかったためだと考えられています。
代官になるには
江戸時代中期以降、代官に登用されたのは勘定所の役人でした。
勘定所の役人になるためには「筆算吟味」という資格試験のようなものに合格する必要がありました。
「筆算吟味」に合格すれば必ず勘定所の役人になれるというわけではありません。
職に就くには父親の勤続年数が長いことなどのコネも必要でした。
勘定所役人になって経験を積んだあとに「御代官御吟味」という算術問題などの内部選考で代官が選ばれました。
参勤交代
代官に任命されると任地に家族とともに赴きます。
5万石以上の領地を統括する代官は華やかな行列を仕立てて任地へ赴きました。
こんな感じだったのでしょうか。
大名行列のように派手ではないものの人目を引くものだったようです。
借金
幕府は代官の配置替えも行ないました。
土地と代官の癒着を避ける目的です。
転勤は代官にとって大きな負担でした。
代官を拝命すると任地に赴く前にそれまでの借金を返済する必要がありました。
江戸時代、武士の多くは借金を負っていた状況でした。
代官に任命されると支度金、旅費、御役拝借金などとして460両、役所建設費として60両が支給されます。
それらを借金の返済に充て任地に赴いても交際費や引越し先での出費など新たに借金が発生する状況でした。
任地で負った借金が返済できず罪人となる者もいました。
裁量範囲
代官の裁量の範囲は限られていました。
全てを勘定奉行に報告して指示を仰ぐ必要があったからです。
勝手に多めに年貢を取り立てて私腹を肥やすことなどということはできないシステム になっていました。
低い報酬と低い地位
代官は幕府に仕える旗本たちの百前後あるポストの中で最低ランクのポストです。
しかも報酬も旗本の中で最低ランク。
支給される金額には任地で雇い入れる人々への報酬が含まれています。
農民と接する立場であることを理由に質素に暮らすようにとの命令も出されていました。
収入が少ないので副業を行う者も多かったようです。
参考文献
山本博文、2018、『悪代官は実は正義の味方だった 時代劇が時代劇が描かなかった代官たちのとの実像』実業之日本社。
西沢淳男、2014、『代官の日常生活』講談社。