秋の鎌倉

彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

世田谷代官の妻・大場美佐は安政7年9月15日、秋の鎌倉へ出かけます。

旧暦の9月15日は新暦の10月半ば頃です。

安政七年(万延元年)九月十五日 雨ふり

一八幡様へおくめ・おミさ参詣ス、汐留の使竹来ル、中延江おミさ・おくめ留逗((ママ))行、翌日皆々而江の島・鎌倉・横浜迄行、

(世田谷区、2013、『大場美佐の日記』(復刻版):26)

おくめと一緒に八幡様にお参りしたあと中延(品川)の実家へ行きました。

翌日から皆で江の島・鎌倉・横浜を4泊5日で周遊です。 

夫・与一とは別行動のようです。

江ノ島

山路興造氏によると江ノ島は江戸から最も近い霊場でした。

平坦な道と風光明媚さで女性に人気がありました。

江ノ島には弁財天がまつられています。

弁財天は技芸、音曲の上達を叶えるいいます。

金運をもたらすというのも大きな魅力だったようです。

 山路興造「大江戸カルチャーブックス 江戸の庶民信仰 年中参詣・行事暦・流行神」 2008 青幻社 76-7


江戸東京博物館
相州江ノ島弁財天開帳参詣群集之図 歌川広重/画
江戸末期 弘化4年~嘉永5年 1847~1852 19世紀
出典:Tokyo Museum Collection https://www.edohakuarchives.jp/detail-4159.html

旅行日程

旅行の前後は中延の実家に宿泊しています。

9月15日     実家のある中延(品川)へ

16日から19日  江ノ島・鎌倉・横浜

20日      横浜から中延へ

22日      姉の嫁ぎ先の角田(碑文谷)へ

23日      碑文谷から世田谷へ戻る

代官屋敷と中延の間は歩いて2時間ほど。

実家を起点にした鎌倉旅行でした。

大人だけの旅

安政7年(万延元年)、大場美佐は28歳頃でした。

美佐にはひとり娘・りんがいました。

旅行前の9月4日にりんをいったん角田に預けます。

九月四日小雨降り昼過ぎより大雨ニ成

一おミさおりんを送り行、紋供に連、大雨故角田へ泊り翌日帰り候事

(世田谷区、2013:24ー5)

角田は碑文谷にいる姉の嫁ぎ先です。

碑文谷は代官屋敷と中延にある実家の中間点にあたります。

忙しい期間と鎌倉旅行の間、娘のりんを姉のところに預けていました。

九月は忙しい

九月は忙しそうです。

8月に宗門改めがありました。

8月末から9月3日まで人馬勘定で村役人らが出入りしています。

4日に娘を姉のところに預けに行き、雨がひどくなり翌日5日に戻ります。

この日は雨降りにも関わらず、娘を預けるために出かけています。

翌日から大忙しです。

5日 彦根藩奉行の山田様が宿泊。

6日 麻次郎に勘定が済んだので酒、肴をだす

7日〜14日 勘定、巡見、法事などが続いた上に奉行衆が出入りし人を頼んで接待

これで一段落。

翌日の15日から実家へ行き、その後実家から実家の人々と一緒に江ノ島方面へと出かけます。

帰宅

旅行の帰りに角田に寄ってりんを連れて世田谷に帰ってきます。

九月廿三日天気少々曇

一おりん同道にて両人帰る、早朝紋碑文谷まで迎えに来る、善八方へ亀せん壱・手遊び壱・煮魚少々遣わす、武右衛門へ梅ひしお壱遣わす、庄太郎送り来る かつお一本・おはぎ一重到来す、夕方新町おかね・お留娘三人来る、土産して柿三把・ゆず菓子折り到来す 酒・肴・飯だす、中延よりアジ一篭土産して到来

(世田谷区 2013: 26)

土産をやり取りして晴れやかな様子なのが想像されます。

夫や姑たち、そして子どもとも離れての小旅行でした。

鎌倉旅行中は中延、角田の滞在を含め9日間代官屋敷を留守にしています。

留守中であるにもかかわらず代官屋敷に出入りした人について記録しています。

美佐は家庭であり職場である代官屋敷に戻ってきました。