ひょこりん

よりみち~\(^o^)/

ちゃかぽんの恋人

「ちゃかぽん」の恋人を主人公にした小説があります。 舟橋聖一著『花の生涯』 井伊直弼が「ちゃかぽん」だった頃、つまり「埋木舎」で暮らしていた頃に付き合っていた女性・村山たかを描いています。 村山たか 村...
よりみち~\(^o^)/

なりくん・なおくん

水戸藩主・徳川斉昭と彦根藩主・井伊直弼。 可愛く呼ばせてもらうと、なりくん、なおくん。 名前の響きが似ていませんか。 ふたりの年齢差は15歳。 開国・将軍継嗣問題など意見を異にして争いましたが不思議に共通点...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

桜田門外の変 水戸藩

(写真は水戸城三階櫓 Wikipediaより) 「桜田門外の変」で井伊直弼を襲ったのは主として水戸藩の浪士でした。 事件を知った水戸藩はどのように動いたのでしょう。 水戸藩の下級武士・延寿(関口きくの夫)の日記には「桜田...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

桜田門外の変 彦根藩

安政7年3月3日上巳の節句(ひなまつり)の日。 五つ半(午前9時)江戸城へむかっていた約50名超の彦根藩井伊家の行列に水戸の志士15名(神官3名を含む)と薩摩の1名が斬り込みました。 雪から刀を守るために柄袋をかけていて彦根藩...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

水戸藩の後継者騒動

延于はすぐに水戸の東湖あてに自分仕立ての飛脚を立てて、事態の急を報じた。東湖はその手紙を見るとすぐに同志を語らって江戸へ飛び出した。・・・深夜、禁を犯して藩の許可もえずに水戸を立った。夜があけてそれと伝え聞いた藩内は蜂の巣をつついたよう。...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

幕末の水戸・混乱の原因

無知不学、目に一丁字のない文盲武士が横行して、尊攘の観念論をふりまわし、無意味な血を多く流した陰には、藩初からの権威主義的教育の効果がひそんでいたのではないだろうか。 山川菊栄、1991『覚書 幕末の水戸藩』:38 山...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

烈公の偕楽園建設

偕楽園の梅は百余種、数千株に及び、諸大名からの寄附もあった。平時は花を楽しみ、戦時は梅干しを軍隊に供することを斉昭は目がけたものだが、花はたしかに幾代にもわたって万人の目を楽しませている。が、梅干しの方はというと、 「烈公さまは攘夷...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

御守殿さま・御簾中さま

写真は水戸藩9代藩主・斉昭夫人(御簾中さま・吉子女王)『ウィキペディア(Wikipedia)』 『武家の女性』関口きく 当時の水戸家では、元日だけは、大広間の上段の間の座ぶどんの上に夫人を座らせます。 藩主以下一...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

正月遊び

『武家の女性』関口きく お正月の14日の晩には、男の子たちが一軒ごとに立ち寄って〆縄輪飾りをはずして田んぼの中に大きな焚火をします。 これは水戸でもほかの地方でも「どんど」と呼ぶ所が多かったようですが、水戸では「ワーホイ」...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

安政7年 正月

画像:四方赤良、1784、『年始御礼帳』3巻:国立国会図書館デジタルコレクション 大場美佐日記 安政七年 元日少々くもり四つ頃より天気 例之通り吉例相済宗八初上町者礼二出候事、 (世田谷区、2013、『大場...
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