ひょこりん

彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

12月の節分

大場美佐日記 安政七年(万延元年)十二月廿四日 天気 節分例の通祝事、千葉より竹使二来る、友笄こうがい・神明前へ歳暮に行、用賀へ紋二塩引・茶遣ス、長・春来ル (世田谷区、2013、『大場美佐の日記』(復刻版):35...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』親類のおばさん

『武家の女性』関口きく  いつ見ても鬘かつらでもかぶったように後れ毛おくれげ一筋なく、なめたような丸髷に結い上げ、八十二で死ぬ時まで紅白粉べにおしろいを放さなかったくらいですからその身きれいなこと。着物を裾長に着なし、丈はすらりとし...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

誕生日の祝い

大場美佐日記 安政七年(万延元年)霜月十五日 曇八ツ頃より雪ふり出し三寸程つもり 御誕生日の祝い致ス、忠次郎祝に付赤飯・にしめ到来ス、旦那八幡様へ御参詣被遊候、御祖母様も御参詣被成御帰り二万やへ御寄□(酒ヵ)肴御馳走有、おば...
旗本婦人 伊東万喜

火災・地震と節約生活

伊東万喜の手紙 此方ニも類焼後、松三本尤つくり松一間半位、梅の木十四五本、 当年も二斗斗ばかりなり申候、此外種々の木々多く 柿・くり、追々大木二成、くりも五合斗なり申候 来年からハ沢山ゝ年々二なり可申候 妻鹿敦子編...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

秋の鎌倉

世田谷代官の妻・大場美佐は安政7年9月15日、秋の鎌倉へ出かけます。 旧暦の9月15日は新暦の10月半ば頃です。 安政七年(万延元年)九月十五日 雨ふり 一八幡様へおくめ・おミさ参詣ス、汐留の使ニ竹来ル、...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

宗門改め

大場美佐日記  安政七年(万延元年)八月廿六日天気 一宗門御改メ例之通有、事済酒・肴・口取物・さし身・すの物・そば出し酒盛有直ニ相済、だんごも出し、御二度ハ豪徳寺へ御出被成候事、 (世田谷区、2013、『大場美佐の日...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』衣・食・住

『武家の女性』関口きく きくは畑の世話が好きで、たすき掛け、おしりばしょりになって、はだしで鍬くわを持ち、手作りの茄子や胡瓜を食膳にも載せ、人にも分けるのを楽しみにしていました。 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』の日常

『武家の女性』関口きく 良家の婦人が外に出るのは盆暮に実家への挨拶、親戚の吉凶、親の命日の墓参り、神社の参詣ぐらいのもので、ほかにはまず出ませんでした。 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店:23 ...
彦根藩世田谷領代官の妻 大場美佐

七夕

大場美佐日記  安政七年(万延元年)七月七日天気少々雲出ル 一七夕様へ例年之通り御備へス、村々名主・年寄御年貢納ニ出ル、上の毛より唐なす五ツ、六左衛門よりどせう・ほうき弐本到来ス、八幡様御部や御三人殿御参詣の事、夕方浅次郎出酒...
旗本婦人 伊東万喜

留守中のやりくり

伊東万喜の手紙 手前方留守の暮ハ、一ケ月壱両米人給のミのけてきりはり、糸つき一さい上下五人の入用、石の上の住ひ故、万事ニ日夜いり何も喰すニ、百匁ニ百匁のこし候者むつかしき事、 妻鹿敦子編、2013、『伊東万喜書簡集』精文堂出版...
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