『武家の女性』関口きく
お正月の14日の晩には、男の子たちが一軒ごとに立ち寄って〆縄輪飾りをはずして田んぼの中に大きな焚火をします。
これは水戸でもほかの地方でも「どんど」と呼ぶ所が多かったようですが、水戸では「ワーホイ」といいました。
( 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店:100)
関口きくが子育てをしていた時期は幕末の騒ぎが続いていました。
攘夷運動の火元となった水戸は保守派・改革派・鎮撫派の三派が内紛をくりかえしていました。
しかし、子供の世界は別でした。
何も知らずに手習いをしたり、鬼ごっこやお手玉をしてすごします。
どんど焼き
どんど焼きは小正月の1月15日頃に家々に飾ってあった松飾りやしめ縄を持ち寄って焼き、集落の人々の一年の健康や幸福を祈願する行事です。
きくの夫・延寿は子供の頃、大変なガキ大将だったようです。
クシャクシャの袴で凧あげ、鬼ごっこと騒いでいました。
しめ縄を集める時も「うちは20日まで輪飾りを飾るから」と断られたのに「ナニかまうものか、はずせ、はずせ」と手下の子どもたちに号令して、さっさとはずして持っていってしまったそうです。
かるた
お正月の夜には、男も女も、大人も子供も遅くまで「かるた」をします。
近所の人ばかりで、知らない顔はあまりなく、お侍も家にいると同様くつろいだ姿です。
普通の家では百人一首だけでしたが、手習い師匠のおばあさんは、いろいろな種類を持っていました。
そのひとつは、おばあさんの旦那さんが普通の倍の大型の立派な台紙に『新古今集』の歌を書いたものです。
300枚ありました。
きくの長女・千世は、『新古今集』の歌を知らないのでいつも人にとられてしまうのがくやしくて、歌を覚えようと父に同じようなものを作ってくれと頼みました。
ガキ大将だった延寿も優しい父親になっていました。
延寿は、美濃紙を幾重にも貼って台紙を作り『新古今』の秋と冬の歌を草書で書いて、かるたにしました。
他にも『烈女百人一首』『武家百人一首』の歌がるた、『三体詩』や『唐詩選』の五言絶句の詩がるたも作りました。
これらは主として延寿の営む塾の塾生が遊んだようです。
「源氏合わせ」という遊びもよくやりました。
源氏物語の54帖の錦絵に巻名を記した札を置いていく遊びです。
それに習って長男・量市が源氏の54帖の巻の名とそれぞれの内容に応じた絵を書いたものを54枚こしらえました。
すごろく
どこにでもあったのは、道中双六です。
珍しいのは昔の双六で、「目おろし」というものです。
絵の双六とは異なり、盤双六は白と黒の駒を多数動かして陣地を取る遊びです。
長方形の台にふたりが向き合って座り、将棋の駒のようなものを並べます。
竹筒をふってとその穴から賽が2つでてきます。
その賽の目に合わせて駒をとっていくものでした。
( 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店:105-8)
家庭で得た多少の教養と技術
『武家の女性』の著者・山川菊栄は、明治初期の女教員のほとんどが田舎の貧乏士族の娘たちだったとしています。
今日から見れば言うに足りない程度のものにせよ、女たちが家庭で得た多少の教養や技術は、大きな変革期の荒波を漕ぎ抜けて、自分を救い、家族を救う上にも役立てば、新しい時代を育てる教育者の任務を果たす上にも大きな力となったのでありました。
山川菊栄、2019、『武家の女性』 岩波書店:184
父親にせがんで、かるたを作ってもらった関口きくの長女・千世は、のちに東京女子師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)の第一期生となっています。
思いがけないおそろしい日
きくの夫や親戚は、主として文教方面に従事しており政治方面にかかわっていなかったため、大きな禍を避けることができました。
『武家の女性』には水戸藩の内乱に巻き込まれ犠牲になった女性やこどもたちが登場します。
彼らにも禍が降りかかる間際まで無邪気に遊んだり、一日中忙しく機を織っていた日常がありました。
父や兄、夫が謀反人の嫌疑をかけられることで、思いがけないおそろしい日が突然やってくるのでした。