『武家の女性』関口きく
良家の婦人が外に出るのは盆暮に実家への挨拶、親戚の吉凶、親の命日の墓参り、神社の参詣ぐらいのもので、ほかにはまず出ませんでした。
山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店:23
江戸時代末期、水戸藩の武士で家塾を開いていた青山延寿の妻、関口きくの日常を『武家の女性』からさぐってみます。
家塾の朝
早朝、手習いの子たちのトントンと門を叩く合図で皆いっせいに起き出し、雨戸をくります。
井戸のつるべ、水の音、台所のかまどの火、ハタキや箒。
さまざまな音がし始めます。
そのうち集まってきた何十人の子どもたちが声を張り上げ、それぞれが自分の習っているところの素読をはじめるのでたいそうにぎやかです。
つけまげの苦労
毎朝、夫・延寿のまげを直すのがきくの日課でした。
男の髪を結うのも主婦の仕事でした。
延寿は毎朝、塾に出かけてくる子供たちに礼を尽くして、教えに出る前に「つけまげ」を整えるのが習慣でした。
延寿は若いころから髪が薄く自分の髪でまげを結うことができなかったようです。
禿頭のまわりの毛を鬢付け油で上の方へなで上げ、つけ髷をして、そのまわりの毛を、また下の方へなでつけて持たせておくので、暑いころなどは、窮屈な服装でお城や学校へ出てキチンと座っている間に、びんつけ油はタラタラ溶ける、つけ髷はゆるむ、何ともいえない厭な気持ちだった・・・
山川、2019:12
延寿は明治維新になってつけ髷の苦労がなくなりホッとしたそうです。
主婦のしごと
朝のきまった用事がすむと縫いものなど主婦のしごとが始まります。
きくは無口で真正直、骨身を惜しまずに働くたちで要領がよく手早く仕事をてきぱきと片付けます。
朝暗いうちに起きて布団をほどき洗い張りをすませて仕立て直します。
夜にはきれいになった布団を敷いて寝るという風でしごとをてきぱきと片付けます。
買い物
武士の家はたいてい家来をおくことになっていました。
買い物も家来の仕事です。
物を買うこと自体が少ない時代です。
どこの家でも土地が広く、野菜ぐらいは作ります。
魚売りも毎日のように来ました。
不意の来客で材料が必要になると家来を買いに走らせるのでした。
身だしなみ
きくは器用で自分のまげも娘の島田も上手に結うことができました。
やっかいなのは、おはぐろです。
既婚女性は眉を落とし、おはぐろにしなければならないのです。
きくは歯の質がよく、おはぐろがうまくつきません。
一日おきに先にうるしをぬっておき炭火をそっと歯のそばにもっていって乾かします。
その上からおはぐろをつけていました。
それでもじきにハゲるので苦労していたようです。
お風呂は週に一度でした。
井戸水を手桶で運んでお風呂をわかすのは大変な作業です。
近隣でもらい風呂もするなどして自分の家だけで入ることはありません。
肌脱ぎになってぬか袋できれいに洗うことは欠かしませんでした。
行水や腰湯もよく使いました。
人手を借りずに髪をまとめ、着物も洗濯裁縫をまめにして、古くても、粗末でも垢づかず、ほころびず、清潔にきちんとしていることが女のたしなみとされていたのでした。
(山川、2019:70)
つきあい
つきあいは夫の家を中心とする親戚関係でした。
きくの母が敷地内の長屋に住んでいました。
長屋には書生の一家も住んでおり子どもたちの遊び相手にもなっていました。
主婦が外出することはほとんどなく、親戚の法事や吉凶、新年のお参り、盆暮れに限られました。
外出の時は必ず供をつけ、ひとりで出歩くことはありません。
楽しみ
夫・延寿は酒を一滴ものみませんでしたが、きくは酒飲みで毎晩晩酌を一本ずつ自分のためにつけています。
美食家でご馳走づくりが上手でした。
水戸では倹約令が出てから音楽はいっさい禁止されていました。
琴も三味線も聞かれず、茶の湯も家来には許されていません。
しかし、春は花見など家じゅうででかけることもあったようです。
水戸藩主斉昭は武士の家族に芝居や寄席に行くこと遊芸を禁じた代わりに偕楽園という公園を作りそこへ遊山に行くようにしたのでした(山川、2019:100)。
子育て
山川氏によると、きくは勤労に徹した堅実な主婦というだけで文字の教育はないも同様、子どもたちに対しては本能的な甘い母親だったようです (山川、2019:27) 。
長男の量市が身体が弱かったのでそれにかかりっきりで、娘の千世のほうはお隣の福原さんが面倒を見てくれています。
福原さんは男の子の孫ばかりだったのできくの長女・千世のことを大変可愛いがってくれました。
朝起きると裏の竹やぶの隣同士の堺のところまで赤ん坊の千世を迎えに来てくれます。
受け取るとそのまま夜まで子守をしてくれていました。
水戸藩の混乱の時代、きくも末娘ふゆの遊び友だちである中村さんの子どもの世話をしています。
ご飯を食べさせお風呂に入れ着物を直して着せました。
中村さんは主人が禄を召し上げられて非常に困っていたのです。
内紛を繰り返していた水戸藩でしたが子どもの世界は別でした。
きくの子どもたちも家庭という小さな巣の中で温かい親の翼の下にいる平和で楽しいひな鳥のような日々を送っていたのでした (山川、2019:92) 。