水戸藩

水戸藩下級武士の妻 関口きく

桜田門外の変 水戸藩

(写真は水戸城三階櫓 Wikipediaより) 「桜田門外の変」で井伊直弼を襲ったのは主として水戸藩の浪士でした。 事件を知った水戸藩はどのように動いたのでしょう。 水戸藩の下級武士・延寿(関口きくの夫)の日記には「桜田...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

水戸藩の後継者騒動

延于はすぐに水戸の東湖あてに自分仕立ての飛脚を立てて、事態の急を報じた。東湖はその手紙を見るとすぐに同志を語らって江戸へ飛び出した。・・・深夜、禁を犯して藩の許可もえずに水戸を立った。夜があけてそれと伝え聞いた藩内は蜂の巣をつついたよう。...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

幕末の水戸・混乱の原因

無知不学、目に一丁字のない文盲武士が横行して、尊攘の観念論をふりまわし、無意味な血を多く流した陰には、藩初からの権威主義的教育の効果がひそんでいたのではないだろうか。 山川菊栄、1991『覚書 幕末の水戸藩』:38 山...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

烈公の偕楽園建設

偕楽園の梅は百余種、数千株に及び、諸大名からの寄附もあった。平時は花を楽しみ、戦時は梅干しを軍隊に供することを斉昭は目がけたものだが、花はたしかに幾代にもわたって万人の目を楽しませている。が、梅干しの方はというと、 「烈公さまは攘夷...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

御守殿さま・御簾中さま

写真は水戸藩9代藩主・斉昭夫人(御簾中さま・吉子女王)『ウィキペディア(Wikipedia)』 『武家の女性』関口きく 当時の水戸家では、元日だけは、大広間の上段の間の座ぶどんの上に夫人を座らせます。 藩主以下一...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

正月遊び

『武家の女性』関口きく お正月の14日の晩には、男の子たちが一軒ごとに立ち寄って〆縄輪飾りをはずして田んぼの中に大きな焚火をします。 これは水戸でもほかの地方でも「どんど」と呼ぶ所が多かったようですが、水戸では「ワーホイ」...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』親類のおばさん

『武家の女性』関口きく  いつ見ても鬘かつらでもかぶったように後れ毛おくれげ一筋なく、なめたような丸髷に結い上げ、八十二で死ぬ時まで紅白粉べにおしろいを放さなかったくらいですからその身きれいなこと。着物を裾長に着なし、丈はすらりとし...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』衣・食・住

『武家の女性』関口きく きくは畑の世話が好きで、たすき掛け、おしりばしょりになって、はだしで鍬くわを持ち、手作りの茄子や胡瓜を食膳にも載せ、人にも分けるのを楽しみにしていました。 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』の日常

『武家の女性』関口きく 良家の婦人が外に出るのは盆暮に実家への挨拶、親戚の吉凶、親の命日の墓参り、神社の参詣ぐらいのもので、ほかにはまず出ませんでした。 山川菊栄、2019、『武家の女性』岩波書店:23 ...
水戸藩下級武士の妻 関口きく

『武家の女性』関口きく

『武家の女性』関口きく 朝のきまった用事がすむと、主婦は縫いもの、糸くり、機おりなどにかかります。水戸のころを思うとすぐ、ビーンビーンと単調な音をたててまわる車の前で、いつも糸をひいていた母親の姿が目の前に浮ぶ・・・ (山川菊...
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