幕末の水戸・混乱の原因

水戸藩下級武士の妻 関口きく

無知不学、目に一丁字のない文盲武士が横行して、尊攘の観念論をふりまわし、無意味な血を多く流した陰には、藩初からの権威主義的教育の効果がひそんでいたのではないだろうか。

山川菊栄、1991『覚書 幕末の水戸藩』:38

山川菊栄氏は水戸藩の幕末の混乱の原因として初期からの権威主義的教育にあったのではないかと疑問を呈しています。

水戸藩は幕末から明治初めにかけて藩内部の政争で女性や子どもも処刑されるなどして多くの血が流されました。

「生瀬の農民騒動」記述への疑問

山川氏は『覚書 幕末の水戸藩』の最初に「生瀬の農民騒動」をとりあげています。

鎌倉時代から治めていた佐竹氏から徳川家へと水戸の領主が代わった頃の事件です。

秋の収穫が終わり水戸から年貢取りの小役人が二人来たので年貢を渡します。

ところがまもなく似たような小役人が二人やってきて年貢を出せといいます。

農民たちは後から来た小役人をニセモノだと思い込みクワやカマを持って追い回し、ひとりを殺してしまいます。

水戸藩家老はこれを怒り兵を率いて老若男女を問わず農民たちを片はしから斬りまくります。

かろうじて逃げた数名のほかは皆殺しにしてしまいました。

水戸藩士だった佐藤翁は「水戸ほど役人がいばり、水戸ほど検米のきびしい所はなかったのだが、農民騒動が稀であったのは、藩初のこの流血ざたが幕末まで人の口にのぼり、農民がおびえきっていたせいであろう」と言っています。

後の時代の農民たちを震え上がらせた大事件について藩の正史には一言一句記述がないのはなぜか。

あれほど歴史に熱心で正義の好きなはずの水戸黄門、弱者の友、庶民の味方として親しまれる光圀が彼の生まれるより前の話とはいえ、一生知らないはずはないのにこの事件にふれていないのはなぜか。

山川菊栄、1991、『覚書 幕末の水戸藩』岩波書店:17 

山川氏は歴史を編纂する地位にいる人々の歴史のとりあげ方の階級性を指摘しています。

山川菊栄、1991、『覚書 幕末の水戸藩』岩波書店:12-7 

和文で書かれなかった『大日本史』

『大日本史』は漢文で書かれました。

光圀が『大日本史』を漢文で書いたのは、たぶん当時の武士階級の気風として、漢文のほうがえらそうにみえ、権威があるようにみえたからであろうと山川氏は推測しています。

関口きくの夫の兄・青山延光は和文の『大日本史』出版の必要性を説いた手紙を安政時代に当時の水戸藩主・斉昭に書いています。

斉昭からも和文出版について同意する旨の返事が届いていましたが、着手することができずに終わってしまいました。

『大日本史』を和文で書くことについては問題になったことはあるようです。

光圀の階級心理

2つの事実に2代藩主・光圀の階級心理が働いていると山川氏は指摘しています。

  • 庶民や女子を相手にせず漢字漢文に通ずる貴族階級、指導層の男子だけを相手にして『大日本史』が編まれていること
  • 農民がおびえきるほどの大事件だった「生瀬の農民騒動」について歴史に残さず一切黙殺していること

光圀自身が封建社会の最高貴族層に属し、朱子学をもって思想の統一を図った幕府の藩屏でもあったからうなづけると述べています。

朱子学

朱子学は君臣の別をはっきりさせ、上の命令に従うことや身分秩序を重んじます。

封建制度を守るために都合の良い学問として利用され、江戸幕府の正学になりました。

5代将軍・徳川綱吉は朱子学を学ぶ場として湯島聖堂を建設しています。

湯島聖堂

幕府は広く朱子学を広めることで安定した政権を維持することができていました。

ところが、幕末になると皮肉なことにこの論理が尊皇論へと傾いていったといわれています。

完成しない『大日本史』

『大日本史』の完成は明治時代になってからです。

記述内容や編集方針をめぐる幾多の論争を経て、明治39年(1906)に、神武天皇から後小松天皇(南北朝合一が成立したときの天皇)に至る歴史を漢文で叙述した『大日本史』402巻が完成しました。

徳川光圀の史観を反映して、(1)神功皇后を本紀ではなく皇后列伝に入れ、(2)大友皇子の即位を認め、(3)南朝を正統とするなど、従来の史書と記述が異なることでも知られ、幕末の尊皇思想にも影響を与えました(国立公文書館ホームページ)。

学者たちの論争の過程で派閥ができたことにより感情的な対立が生まれ深刻化した面もありました。

また、光圀のあとの世代にとって大日本史編さんは水戸藩の財政負担になっていきます。

黄門さまの印籠

山川氏は「幕末の水戸藩の混乱の一因は藩初からの権威主義的教育にあったのではないか」と疑問を呈しています。

物事の善悪を考えるよりも強者の指示に従うことをよしとする教育がされてきたことが混乱の一因だということです。

印籠を見せられてひれ伏す場面を思い出します。

物事にはいろいろな面があるようです。

タイトルとURLをコピーしました